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三浦功 (海軍軍人)[みうら いさお]
三浦 功(みうら いさお、嘉永3年5月8日(1850年6月17日) - 大正8年(1919年)4月26日)は、日本の海軍軍人。運用、航海の大家で新井有貫とともに海軍士官の目標とされる存在であった〔『歴史と名将』81頁〕。最終階級は海軍中将。 == 人物 == 幕臣三浦彦五郎の長男として生まれ、戊辰戦争では榎本武揚率いる旧幕府艦隊の一員として宮古湾海戦を戦う。 明治維新の後、「金剛」副長として西南戦争に従軍、北清事変に功績を挙げる〔『陸海将校の書生時代』272-274頁〕。「山城丸」艦長として日清戦争に出征し、旅順口海軍根拠地知港事となるが、三国干渉の結果旅順は清国へ返還となった。 次いで英国に発注された「富士」回航委員長に選ばれる。「富士」は「八島」とともに日本海軍にとって最初の戦艦であり、明治天皇の建艦詔勅、6年におよぶ官吏の給与一割献納などで建造された〔『大海軍を想う』65頁〕日本海海戦における主力艦である。運用の神様の異名があった三浦は特にこの任に就いたのである〔『歴史と名将』82頁〕。副長斎藤實少佐が外交交渉などの補佐にあたり、スエズ運河を通過し帰国した。 日露戦争では戦時艦隊集合地港務部長、艦隊附属港務部長として、掃海などに従事。連合艦隊などの安全確保に努め、戦後は旅順口港務部長として同港の整備を行った。この際引き揚げた艦船は340隻におよぶ。「三浦以前に三浦なく、三浦以後に三浦なし」と言われた卓抜した技量の持ち主であった〔『日本軍閥の興亡』254-255頁〕。
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